管理人“きみのや”のプロフィール

初めまして。

「料理も縫い物も、なんでもできてすごいねー!!」とよく言われるけれど、

人生のかなりの時間を“他人の気持ちを考えて思い悩むこと”に費やしている、“きみのや”と申します。

現在50歳、夫と二人で里山と街の二拠点暮らしをしています。

46歳の頃、11年続けた仕事(夫が経営していたカフェの運営、調理全般)をやめてから、

今後自分の人生をどうしていきたいのか、まるでわからなくなってしまい、

いろんなことを試して散々悩んでたどり着いた答えは、

私と同じように生きづらさを抱えている人の力になりたいということでした。

このブログは、カフェを始めた当初から続けていた日記ブログ(gooブログ 旧“きみのや”のまんぷく日記)と、

料理と陶芸について書いていた特化ブログを移行してまとめたものになります。

なぜそうしたかというと、これまでの、

ただのつぶやきや日常を綴ったブログ(=自分が自分のために書いていたもの)から、

ネットでつながる誰かへ向けてのブログに切り替えることで、

誰かの力になりたいという自分の思いを実現できると思ったからです。

もちろんゆくゆくは収益化したいという気持ちもすごーくあります。笑

それは、毎日を納得して生きるのも、お金を生み出すのにも、

“自分の個性と経験を武器にするしかない!!”ってことが本当によくわかったから。

私の50年分の濃ゆくてほろ苦い経験を活かして、

ブログを書いていこうと思っています。

目次

私の生きづらさを作ったもの

どんな人にも、それぞれが抱える生きづらさってのがありますが、

私の場合は大きく次の3つのことが原因になっています。

  1. 特殊な家庭環境だったので、家の中のことは外に漏らしちゃいけないと強く思っていた。
  2. 家庭内で自分の意見や希望を言ったことがなかった。
  3. 身だしなみの整え方を知らなかった。

まず1についてですが、両親が結婚していなかったこと、父が高齢で、何をしているのかよくわからない人だったこと、母が夜働いて家族を養っていたこと、家の中が荒れていたこと、そして家庭内で起きるいろんな事件?みたいなことを、ぜーんぶぜーんぶ、子供心に誰にも知られちゃいけないこととして認識し、必死に隠していました。

小学1年生ぐらいからそうやって生きてきたので、誰に対しても壁を作って心を開かないまま大人になってしまいました。

2については、家の中では、男が偉い!男が大事!女は我慢!といった男尊女卑的な価値観がまかり通っていたこともあって、そもそも自分の意見をいうという発想がありませんでした。

父の晩酌の際には近くにじっと座って水割りを作り、

勉強ができた兄に個室がある一方で、

私は部屋どころかどこにも居場所がなく、玄関で着替えたりしてました。

この経験と価値観が体に染みついていることで、堂々とものが言えない自分ができあがったのかもしれません。

3については、母が仕事も家事も全部一人でやっていたので、一般的なお母さんがやってくれそうなこと、つまり、髪をといたり結んだり、明日着ていく服を用意したり、歯磨きを教えたり、ハンカチを持たせたり、本を読んでくれたり、といったようなことを、私の場合ほとんど経験したことがありませんでした。

いま思えば母はこの頃から父親として生きていたのかもしれません。

当時の私は、自分の身だしなみが整っていないことに加えて、歯並びが悪いのもカリンコリンに痩せていることもコンプレックスで、そんな自分を常に恥ずかしいと思っていたので、人前で笑うことはほとんどありませんでした。

人生最大の荒療治はカフェを経営することでした

そんな私は大人になってからも、「自分は他の人とは違う、みんなのように普通の恋愛や結婚はできないにきまってる」と思いながら生きていました。

恋愛パターンはいつも、自分を相手に合わせて変えてしまうようなことばかり。

相手が望む自分になる、自分の気持ちは言わない、深く関わる前にすぱっと断ち切る、その繰り返しでした。

そんな私が35歳で結婚できたのは、奇跡としか言いようがありません。

結婚はそれまでの人生にも恋愛にも疲れ果てていた私に、神様がくれたチャンスだと思いました。

しかも一番ネックになると思っていた私の家庭環境について、夫も夫のご両親も一切気に留めたり嫌悪感を示したりしないでいてくれたのです。

なんというか狐につままれたみたいな感覚で、「え、いいの??だいじょうぶなん?? 逆に温かく迎え入れてくれて、こんな神みたいな人たちがこの世にいるの??」と、なんだかフワフワと宙に浮いてるような感覚でした。

このことは、私がそれまで大問題だと思ってこだわっていたことは、実は自分が大問題にしていただけだったということに気付かされた、衝撃の経験でした。

そして結婚と同時に始まったのが、オーガニックカフェ(今で言うコミュニティーカフェみたいなお店)を経営することでした。共同経営者がいたり、大勢のスタッフがいたり、夫婦二人だけになったり、いろんな時期がありましたが、どんなときもたくさんの人との出会いがありました。

そう、私が最も苦手な人付き合い、出会い、会話、コミュニケーションがたくさん、、、。(^^;

でもこの経験があったおかげで、人との縁の大事さを半ば強制的に学ぶことになり、

その結果、友達や仲間といえる関係が徐々に作れるようになっていったのです。

料理にもダイジョーブくんにも、人を救う力がある

とはいえ、カフェをやったからといっていきなりコミュニケーション能力が上がるわけではありません。

苦手なことは、いつまでたっても苦手なものです。

だけど、カフェをやってよかったのは、そこに必ず“料理”が存在するということでした。

会話しなくても、私の手作りの料理を食べてもらえれば、それがすでにコミュニケーションになる!たくさんの人が私が作った料理で笑顔になったり元気になったりしてくれる! 

ここで料理のすごさに気づいたわけです。

話は私の実家に戻ります。

さっき散々実家のややこしさを書いといて、なんですが、思い返せばどんなときも食卓にはおいしいごはんがありました。母がどんなに忙しくても、手作りのごはんだけはそこにあった。

食べるものだけは不自由させないという思いの現れからか、食事はかなり贅沢なものを食べさせてもらっていました。

家庭環境に対しての不満や寂しさを自分の中で整理できなくて、生きてることが辛くて苦しいとしか思えない時期もあったけど、その料理の記憶が、いつも私を救ってくれた気がします。

この経験から、料理は、今現在だけじゃなく、記憶だけでも十分に人の心に温かい灯りをともしてくれるということがわかりました。

同じように、私が作る陶製の置物、ダイジョーブくんにも同じような力があります。

もともとは自分を癒すために作りはじめたものですが、このマニアックな置物に反応してくれて、購入してくれて、温かい気持ちになってくれてる人たちが、実は何人もいます。

私の手から生み出されたものが、誰かの力になることが、いま本当に嬉しいです。

自分を信じて行動してみます

このブログへの移行を決めてから、改めてブログを書く意味を考えました。

なんのために、誰に向けて、そしてどうなっていきたいのかを。

私が自分を自由に表現することは、

きっと誰かのためになるということを信じようと思います。

遠慮することなくたくさんの人に愛と勇気を届けていきたいと思います。

私のブログを見てくれた人が、ああ、これでだいじょうぶなんだ、

明日からまたがんばってみようと、

少しでも前向きに生きていく気持ちになってくれたらいいなと、心から祈っています。

よかったらぜひ時々のぞきにきてくださいね!(^_^)

お読みいただきありがとうございました。

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この記事を書いた人

管理人のきみのやです。他人の気持ちに敏感すぎて人付き合いが苦手、人生思い悩んでばかりですが、料理とモノづくりに救われて生きてきました。
OL→フリーター→グラフィックデザイナー→結婚→夫とオーガニックカフェ経営→現在50歳で里山と街の二拠点生活中。
私の経験が、少しでも誰かの元気の素になりますように。
詳しいプロフィールはこちら

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